NPO法人無外流 北海道無外会 本文へジャンプ
ご紹介
居合とは
居合とは日本刀を用いた日本の伝統武道です。 約450年前、奥州の林崎甚助
重信が抜刀の術に神妙を得て自ら林崎流、または夢想流と名乗ったのがはじま
りとされています。 刀を抜いて相手と向かい合い、仕合うことを「立ち合い」といい
ます。これに対し刀を鞘から抜く前、つまり「居合わせた」状態から敵に相対し、抜
刀により勝敗を決することを「居合」といいます。すなわち居合道の生命は鞘放れ
の一刀にあります。
居合の流派
居合は約450年の歴史をもつ武道であるため、多数の流派(古流と呼ばれています)
が生まれました。今日演武されている主な流派は、夢想神伝重信流、田宮流、伯耆
流、無双直伝英信流、水鴎流、立身流、新陰流、神道無念流、夢想神伝流、無外流
ほか多数あります。
居合の修行
居合とは立合いに対する言葉で時代劇映画などでみる刀を抜いて互いに間合い、
呼吸を計り隙を窺う様子は立合いです。黒澤監督の椿三十郎という映画のラストシ
ーンで決闘の場面 がありました。そこでの刀を抜かず、気攻め、間の駆け引き、呼
吸の取り合いが居合の一部を現わしています。居合・居相・抜刀術・鞘の中とも称さ
れて、敵の不意の攻撃に対して直ちに居合せ抜刀し、鞘離れの一瞬に勝負を決める
武術として創始されたものであり抜いて構えるならば立合いとなる。 生死を鞘離れの
一瞬に懸ける居合の修行は生死を常に一つとし動静一貫の神秘的境地まで発展し心
身の鍛練を常とする道を開いてきた。
居合の「居」とは、体の居る所の意であり座っても、立っても、歩いても、走っても居で
ある。恐驚疑惑、無念夢想、喜怒哀楽も心の居である。即ち「居」とはその場その時の
心身の実在を指している。 「合」とは、打てば響き呼べば応える臨機応変、当意即妙
の働きを謂う。居合即ち居合わすの意で、行住坐臥、一挙手一投足もゆるがせにしな
い心の修行が居合の本文です。 ただ刀を抜くことだけが居合と心得るのは誤りであり
刀・技を使う心・気を練磨する、そして常にその時、その場に居合わすことが修行の目
的です。

無外流
無外流は1693年に流祖・辻 月丹が作った剣術の流派です。

流祖・辻月丹(幼名:兵内)は、慶安元年(1648年 徳川家光の世)近江の国甲賀郡宮
村字馬杉生れ、十三才の時京都で山口流の山口卜真斎について山口流剣術を学び
ました。
二十六才の時に師匠より山口流の免許を認可、同時に江戸出府を許され、
麹町九丁目に道場を構え、山口流兵法の看板を掲げました。しかし、名も無い田舎兵
法者として相手にされず、僅かばかりの弟子と稽古し修行をしました。

また兵内は、学問と心の修養の必要を感じ、麻布吸江寺の石潭禅師に師事、 禅学と
中国の古典を学びました。 その後、石潭禅師が遷化されたため、続けて第二世・神
州和尚について参禅、兵内四十五歳の時悟りを開き、神州和尚は師石潭禅師の名で
次の偈(げ)を与えました。


一法実無外(一法実に外無し)

乾坤得一貞(乾坤一貞を得)

吹毛方納密(吹毛まさに密に納む)
動着則光清(動着すれば光清し)


兵内を改め月丹資茂(げったん すけもち)となし、流名を偈よりとり無外流としたのは、
元禄六年(1693年)の事です。
二十年の参禅により、一介の剣客でなく、剣者と共に
禅者でもあり、学者でもあった月丹は、吸江寺を訪れる大名とも対等に語る事がで
き、中には小笠原佐渡守長重、厩橋の藩主・酒井勘解由忠挙、土佐藩主・山内豊
昌等がいました。

元禄八年(1695年)、江戸の大火によって月丹の家も焼失したため、それまでの弟
子数は 不明も、元禄九年より宝永六年(1710年)まで十四年間の誓詞によると、月
丹の弟子は、万石以上の大名三十二家、直参百五十六人、陪臣九百三十人とあり
ます。

一探求者としての人生を希望していた月丹は、大名家から、師範役として迎えたい
との度々の申し出を断り、厩橋藩(後年姫路藩に転封)酒井家には月丹の甥無外流
第二代辻右平太を、土佐藩山内家には月丹の養子で無外流第三代、後継者の都治
記摩多資英を推挙し、師範役とした。また伊勢崎の酒井家(分家)磯田某も右平太に
学び、その流れは挙母藩(ころもはん、現在の豊田市)の内藤家に伝わります。

月丹六十一歳の時、酒井忠挙の取り計らいで、御目見得の儀として五代将軍 綱吉
に謁見の許可が出ましたが、不運にも綱吉死去により実現しませんでした。しかし、
一介の浪人剣客に御目見得の許しが出た事は当時破格の出来事でした。

剣者であり、禅者でもあった月丹は、剣と禅は一如であるとし、その内容・文章 の
充実さに於いて一流とされる月丹が著した伝書「無外真伝剣法訣並序」の末文に、
「右無外真伝の剣法は禅理をもって教導致すところ、貴殿禅学御了知の上当流の剣
法御懇望且つ御篤志につき…」とあり、門弟達にも参禅させ、禅学了知の上でなけれ
ばこの「無外真伝剣法訣並序」を授けなかったようである。

月丹の没する三ヶ月前の姿は、袈裟を掛け、手には払子を持った高僧の姿で描かれ
ているといい、また別の画には袈裟を掛けた姿ではあるが、右手に木刀を持ち、眼光
鋭い剣者月丹が描かれています。

こうして家庭も造らず一生を不犯で通した月丹は、享保十二年(1727年)六月二十三
日、 禅学の師・石潭禅師と同月同日、座禅を組み、念珠を左手、払子を右手に持って
一生を閉じました。七十九歳でした。

無外流居合
無外流居合は正確に言うと自鏡流居合ですが、無外流剣術の指南役が指導していた
ため、一般に無外流居合と称していました。無外流 流祖である月丹は自鏡流居合の
祖・多賀自鏡軒盛政について自鏡流居合を学び、辻家代々自鏡流 宗家の指導を受
けていました。

自鏡流居合は六代で後継者が絶えたため、無外流伝承者に受け継がれてきました。
現在の無外流居合は、無外真伝剣法の中で伝えられた自鏡流居合を、無外流中興
の祖・中川士龍師範が無外流居合兵道として改めたもので、「無外流居合兵道」という
言葉は、第十一代宗家 中川士龍申一先生の「造語」です。

自鏡流第五代宗家 山村 司 昌茂 先生に居合を教わり、無外流剣術の稽古に本格的
に取り入れたのは、第六代宗家 高橋 八助 充亮 先生とその弟である秀蔵先生であり
、その居合を20本の形、3本の内伝に纏め上げたのが第十一代宗家 中川 士龍 申一
先生です。

現在、我々は第十一代宗家 中川 士龍 申一 先生が纏め上げ、名付けた「無外流居
合兵道」を居合道と組太刀道(剣術)として稽古しております


イメージ NPO無外流北海道無外会 は、無外流明思派宗家  新名玉堂
先生のご指導の下、無外流居合兵道を稽古する団体です。